中学受験の思い出
子どもの受験を考えてるとどうしても自分の時を考える。
新しいことを知るのはおもしろいけど、それがテストになるとなぜか全然できん。。とか。
例えば、相似形の原理はわかってるのに、それが図形の中に隠れてると全然見つからない。とか。
ちゃんと調べれば二等辺三角形があって一発でできるのに、その周りの角度をグルグル求めて全く答えがでないとかね。
これは何時間かけても絶対できないやつ。
あれはどうしたらできるようになったのだろう。。でも、今年の開成の算数の入試問題みたら普通に解けなかったから今でもムリなのかも!
ただ、塾に行くといるわけ。そういうのをスラスラ解く連中が。Sクラスの子とかね。
日曜テストではそういう子とは一緒にならないけど、算数だけできないのに会員レベルの授業を取ってたからそういう子を見るわけで。
※算数が得意だったわけではなく、準会員レベルの算数が土曜にしか開講されてなかったから。土曜は遊びたかった。
でも、しばらくするとなんか気付いてきたわけ。会員の子たちは、どうやら勉強は自分よりはるかにできるらしい。だけど、人間的魅力では、自分の方が勝ってるんじゃないか?って。
別に勉強できるから人が付いてくるわけじゃないからね。って。いつか仕事をするような立場になったら、自分の方が人が付いてくるだろうって。いわゆるマネジメント能力。
仕事って自分じゃなくて人を動かすことだろうからね。仕事したこともないのに!
今になるとこの負け惜しみ的妄想は、半分正解で半分不正解。
世の中には、個人の裁量だけで、なんとかなる仕事もあるから。医師、弁護士、学者、芸術家、音楽家、作家、エリート金融マン、初期の起業家とか。
でも、こういう仕事で個人の才覚だけで上がってきた人って歪んでる人もいっぱいいるね。
なんせある一定のレベルまでくると周りは誰も指摘できなくなるから。マネジメント能力とかいらんからね。
歪んでるからこそ社会の枠組みを飛び出してイノベーションを起こしてくれるかもしれないのがおもしろいところだけど。一緒に働くのはつらい。ジョブズと一緒に働きたい人なんかいる??
小学生の自分は勉強的能力がないことを自覚して、マネジメント能力で生きていこうと思ったのかも。